普段の生活や仕事で多く利用されるタクシー。
ドアtoドアで自宅や会社から目的地までピンポイントに行けるし、電車やバスのように駅や停留所で止まるわけではないし満員列車に悩まされることもない便利な乗り物だ。
いまだに地方では、配車センターに電話しないと来なかったりと不便な面もあるが街中では配車アプリ(Go,didi,Uder等)で気軽に呼べたり、流しのタクシーがひっきりなしにやってくるので乗ることは容易いだろう。外に出ると1台は必ずと言っていいほど見る機会が多い。
しかし、働く車ランキングでは15位以下であったり、若者の就職・転職の選択肢に入らず運転手の超高齢化が進み閉鎖する営業所は少なくない。
意外と知らないタクシーの成り立ちや歴史を伝えたいと思う。
始まりは1912年(明治45年) ~東京~
日本のタクシーの起源は1912年7月10日まで遡る。
現在の東京都千代田区有楽町に「タクシー自動車株式会社」が設立され、同年8月5日からタクシーメータを搭載したアメリカ製のT型フォード6台で営業を開始した。これが日本のタクシーの始まりであり、8月5日は『タクシーの日』と制定されている。
営業拠点は上野駅と新橋駅であり、1マイル60銭、以後0,5マイル毎に10銭を加算していくシステムであり、人力車に倣って夜間・積雪時の割増運賃も設定されていた。
1914年(大正3年)から全国に普及
1914年には東京駅の開業や第一次世界大戦の開戦もあり、タクシー業界は盛り上がり全国で次々と新しいタクシー会社が設立された。しかし、料金体系がバラバラで苦情が殺到。大阪市では、1924年(大正13年)には大阪市内を1円均一で走るタクシー(円タク)が登場。2年後には東京でも円タクが登場し、タクシー業界は発展していくことになった。
今でも同じエリアでも若干料金体系が異なるタクシー会社ありますよね。某動物さんだったり某野菜だったり。遠距離割引があったりなかったり。個人的な意見だけど、料金に関してはエリアで統一して同一料金にしてほしい。価格競争はサービスの質の低下に繋がるだろうし、料金が安い会社にはそれ相応の質の低い客が多くなってトラブルも増えそう。
1930年~1950年頃
満州事変や第一次上海事変と日中関係が混乱を深める中、石油会社が値上げを発表した。その後1938年(昭和13年)に警視庁がタクシー営業のルールを制定(最低基準車両50両)とし、多くのタクシー会社が廃業し175社へ集約統合を行った。
その後、メーター制が復活し初乗り2キロ30銭、1キロ毎に10銭という値段となった。
第二次世界大戦も勃発し、1937年(昭和12年)には石油資源確保の為にタクシーの流し営業が禁止。戦後までは代替燃料として、木炭や亜炭等が使われることになった。
1950年~2000年頃
1950年代に入ると、自動車の性能が爆上がりし「神風タクシー」という粗暴運転や乗車拒否、不当運賃請求(雲助タクシー)などが問題となり交通事故も多発し社会問題となった。
それらを抑制する目的で、個人タクシー制度(1人1車両、2種免許)が生まれ1959年(昭和34年)に東京で初めて認可され、翌年には関西でも個人タクシーが認可され神風タクシーは一掃できた。
「神風タクシー」が増えた理由は、会社からの無理なノルマを課され無理やり売上を作ろうとする運転手が増えたからといわれている。
1970年(昭和45年)には、タクシー業務適正化臨時措置法が施工され、東京・大阪圏ではタクシー運転手を登録制とし、タクシー近代化センターが設置された。
2000年代までに、東京オリンピックの需要によりタクシードアが自動となる。また料金の多様化が進んだりと様々な制度・行政改革が行われ今日に至っている。
次回は2000年代以降やタクシー雑学を予定している。
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